完訳 第8の習慣
「効果性」から「偉大さ」へ

初版発行から12年振りに、原書に忠実に訳した完訳版を発行!

『第8の習慣』は自分のボイス(内面の声)を発見し、ほかの人たちも自分のボイスを発見できるように奮起させる習慣です。

新しい時代の中で、苦痛と不満の状態を脱し、生涯にわたって社会に関わり、貢献し、自らの存在意義を確認して、真の充足感を得るまでのロードマップを示してくれます。

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『第8の習慣』の理解を深める映像

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3つのコラム

本書の中でダイジェストで紹介されている3つのコラムの全文をご覧ください。いずれも 「第8の習慣」を実践するヒントになるでしょう。

「自分はそれが好きなのだろうか?」
「得意だろうか?」
「世間で求められているのだろうか?」
「良心はそれに関わってもいいと言っているだろうか?」

もしあなたがすべての質問に「はい」と言い切れるのであれば、それは素晴らしい仕事に違いありません。目標にする、あるいは継続する価値のある仕事だと思います。この四つの質問に答えられるかどうか、じっくりと考えてみる必要があるのではないでしょうか。これらの質問は、あなたがこれからの労働時間をどのような仕事に費やしたいのかを見つけるための過程となります。自分にとって本当に重要なものは何か時間をかけて考え、明確な見通しを立てることで、自分の状況を把握することができます。そこから前向きな活力が生まれて、この先どのような仕事に就けばいいかを決めることができるのです。

まだ「理想」の仕事が見つかっていないという人はどうでしょう。世界はこの一〇年間で大きく様変わりしました。産業の時代から情報/知識労働者時代への変化の波は我が国にも押し寄せ、ビジネスのやり方もすっかり変わりつつあります。市場は非常に顧客志向型になっていますが、依然この考えは仕事を探している人の多くにはそれほど浸透していません。

望みの仕事に就くために重要なことは、その仕事の顧客となる人が何を求めているかを重視することです。そうすれば、将来その仕事で雇われることになるでしょう。自分の考えを捨て、顧客の立場に立つのです。

従来までの、履歴書を書く、面接を受けに行く、申し込み用紙を書くといったやり方は、時代遅れの好例です。私はこれを「ショットガン・アプローチ」と呼んでおり、露出度の点では非常に広範囲になりますが、あなたは履歴書を受け取る企業側にとって何百人もしくは何千人という就職希望者のうちの一人でしかないということが問題です。人事部のオフィスには働きたいという人からの手紙、履歴書、電話が殺到しています。他の応募者と差がなく経験も同じくらいであれば、企業側にとってあなたは「厄介な人」や「面倒な人」でしかなく、今日中に応対しなければならないたくさんの手紙や電話のうちの一つでしかないのです。

厳しいことを言うつもりはありませんが、急激な変化の過渡期にあって、国際的な競争環境となったいま、多くの企業にとってはこれが現実です。彼らは過度の企業縮小やアウトソーシングによって負った痛手を何とかしようと努力しています。しかし、一見問題があるように見えて、例えばそれが企業縮小の問題であったとしても、そのような所にでも仕事のチャンスはあります。古いことわざにもあるように、まさに「問題は作業着を着たチャンスである」なのです。

つまり、履歴書を送ったりその後電話攻めにしたりするような「ショットガン・アプローチ」をしていたのでは、大抵の場合、これまで以上の結果を生むことはほとんどありません。なぜでしょうか? それは、こうした応募者は、まるで自分が客であるかのように振舞っているからなのです。顧客は、要望や問題を何とかしてもらおうと企業にやってきます。「ショットガン・アプローチ」の場合で言えば、要望とは仕事、つまり就職口のことになります。企業側にはすでに顧客から処理しきれないほどの要望や問題が持ち込まれているのです。従来のようなやり方で企業にアプローチした場合、要望を聞いてもらうために競い合う相手が誰になるかわかりますか?あなたは、面倒なことをこれ以上持ち込んでくる人になるのではなく、企業や顧客の問題や要望を「解決する人」にならなければなりません。何らかの重要な要望や好機に対してあなたは「解決する人」になると考えてもらうには、的を一点に絞って強い印象を与えることができる「ライフル・アプローチ」が必要です。そのためには、機知と創造力を目いっぱいに働かせ、自分の働きたい企業のことを研究する必要があります。

創造力とは人間のみに与えられた才能で、素晴らしい力を発揮しますが、大抵の場合はこの能力は眠ったままになっています。勤め先がないと焦ったり、不安に思う気持ちを切り替え、希望する企業の現状をよく考えてみてください。創造力をもって、どうすればその企業の従業員や経営者と話をしたり、または彼らから学んだりできるかその方法を考えるのです。その企業の納入業者や顧客、果てはライバル企業とも話してみてください。そして、従業員や経営者以上にその企業の課題やニーズを説明できるようになれば、あなたの存在─経歴、技術、学歴、経験(なかには、まだまだ磨きが足りないというものもあるかもしれませんが)─は彼らのニーズに当てはまり、あなたの機知と洞察力に目が止まることになるでしょう。

そして最後に、創造力を働かせ観察する際に、その企業の風土や規範について調べることが非常に重要です。企業にも色々個性があるので、こうした事を知っておくと、経営者や幹部との面接や面談のとき、どのようにその企業にアプローチすればいいのか判断することができます。創造力を働かせてみてください。それぞれの企業によって事情は異なります。その企業の立場に立って考え、事情を踏まえて行動しなければ、前もって行動していても失敗してしまいます。こうした事を合わせて行うことで、素晴らしい結果に結びつくような良い考えが浮かぶのです。

こうしたアドバイスに従って、なりたい職業に就くため相応の努力をしてみようという人がわずかながらでもいらっしゃると思います。そして、職のない現状を景気が悪い、その会社が悪い、自分を正しく見てくれなかった人が悪い、自分が悪いなど様々な理由を考えることになるでしょう。何か事が起こるのを待つような受身の態度を変えてみてください。アインシュタインの言葉にも「我々が直面する問題は、その問題を引き起こした時点と同じ思考レベルでは解くことはできない」とあります。時代の風潮をとらえ「自分の顧客」のニーズに自らを合わせていかなければならないのです。

ここ数年来、数多くの幹部社員や秘書、管理者側、専門家と話をしてきましたが、彼らは一様に、今一番困ることは何をするにしても時間とリソースが足りないことだと言います。

一般人の苦労と比べて、国務長官や外務大臣の忙しさがどんなものか想像がつきますか?彼らは、夜を徹した仕事や、世界中で開かれる会議への出席、合意の取り付け、交渉、国家に影響を与えるような判断の決定など、やるべき事が考えられないほどたくさんあります。一体彼らは、どうのようにしてこなしているのでしょうか?

数年前、私はヘンリー・キッシンジャーの実例から、重要な教訓を学びました。この教訓は、どのような地位にいる人にでも当てはめることができると思います。ニクソン大統領およびフォード大統領政府の国務長官だった時代に、キッシンジャーは「コンプリーテッド・スタッフ・ワーク」という行動指針を取り入れました。これは、厳しいスケジュールをこなしたり、自分や他人の作業に効果性を生み出したり、物事をきっちりと仕上げたりするときの手掛かりにもなります。

コンプリーテッド・スタッフ・ワークとは、個人から自分なりに最良だと思う意見や提案を出させて、最終的に最高の働きを引き出そうというものです。

自分の部下から提案を受けたとき、キッシンジャーは決まって「それは君が最善を尽くして考えた提案かね?」と尋ねていました。

大抵の場合、その部下は「いいえ。もっと詳しく分析すれば、もっと良い提案をできると思います」と答えるのです。

部下達が提案を練り直し再提出したとき、キッシンジャーは再びこう質問します。

「君達が最良だと思える提案になったかね? 改善の余地は何も無いのか?」

もちろん、彼らは決まって直す部分や改善する部分を探します。そして、最善を尽くして考えて決めたという責任も新たに加わり、最終的な提案を提出しに来て、「代替案や実行計画、最終結果までを明らかにし、徹底的に考え抜きました」と言うことができます。

そこでキッシンジャーは「よろしい。それでは読んでみよう」と返事をするのです。
キッシンジャーは、部下に重要な責務を負わせて権限を与え、自ら作業管理を行うよう上手く仕向ければ、彼らは最高の能力を発揮し、より大きな貢献をしてくれると明確に理解していたのです。

残念なことに、ほとんどのチームで委任や権限付与の考え方が信頼されるには至っていません。すべて自分ひとりで引き受け、自分しか上手くできないと確信しているのです。そして結局は力尽きて、チームはというと、取るに足りない意見と結果を得るだけです。

仕事を上手く成し遂げるために、自分の仕事の状況と、その仕事に何が必要で何が切迫しているのかを考えてみてください。ベストプランの考え方を通して委任や権限付与を行うことができるか、また、以下に効果性と効率を上げるためのコンセプトを挙げていますので、それらをどう採用していくことができるか、考えてみてください。

1.自分が何を求めているのかを知り、はっきりと伝える
自分とメンバーとの間でどのような結果が欲しいのかを明確にし、こうなるだろうと明確に予想できるような心理的な契約を結ぶ。何か問題を解決するさいには、最善を尽くして考えた意見、意思決定、提案が求められるということをメンバーに理解させる。提案に盛り込まれるべき条件を明確にする。
2. 質問をする
管理者として、あるいは同僚として「君はどういう提案をするか? この問題をどう解決するか? この戦略をどうやって実行するか?」など他のメンバーに質問をする。アイデアとそれを実行しようという者を募る─あなたのプロジェクトを成功させようという心理的投資となる─習慣を付ける。
ただし、他人を賞賛し功績を認めるようなことはしないこと。そうしないと、自分の功績や利益のために彼らが懸命に考えた意見を利用したと思われてしまうことになる。
3.各メンバーの想定を周知させる
チーム内で管理者または部下もしくは同僚の立場にあるとき、必ずその仕事の前提となるものや必要となる形式、条件、期日などに関して各メンバーが考えている想定をすべて周知させる。想定が食い違っていたため互いに違った方向に進んでしまうと、フラストレーションが溜まったり進んで引き受けようというものがいなくなったりしてしまう。
4. 必要なツールを与える
必要なリソースや時間、情報を提供する。必要な情報とリソースなしでベストプランを実行するように期待されることほどフラストレーションを感じさせることはない。情報や批評を与える必要があるときは、彼らと常に連絡をとりやすい状態にしておく。
5. 成果が出る環境を整える
プレゼンテーションをしたり、ベストプランを見直したりする時間をスケジュールに組み入れる。仕事のプレゼンテーションを効果的に行えるような機会を与える。改善するよう勧めたり次に講じるべき手段を教えたりする前に、建設的な批評を添えて、丁寧に質問する。

コンプリーテッド・スタッフ・ワークは万能薬ではなく、自分で物事を考え最良と思える仕事を進めていくその方法を教えるための効果的な一手段でしかありません。私の経験から言えば、ほとんどの人が、問題を解決したり自分の能力を発揮したりできる機会を歓迎します。

以上のことを上手く実践できれば、長期的に見て、コンプリーテッド・スタッフ・ワークにより全員の時間が節約されることになり、また、作業者の才能や潜在的能力が引き出されて質の高い結果を生み出すことができるのです。

エルバート・ハバード

キューバ事件といえば、私の記憶の片隅で、大接近したときの火星のように鮮明に思い出される人物がいます。スペインとアメリカが戦争をしていた当時、反乱勢力のリーダーといち早くコンタクトを取る必要がありました。そのガルシアはキューバの広大な山のどこかにいるというだけで、その居場所を知るものは誰一人としておらず、手紙や電報も届きませんでした。大統領はなんとしても、いち早く彼の協力を取り付ける必要があったのです。

どうしたものか!

その時ある者が大統領に「ローワンという男ならば、きっとガルシアを見つけてくれるでしょう」と言いました。

そしてローワンが呼び出され、ガルシア宛のメッセージを託されました。この「ローワンという男」が、いかにして受け取った手紙を防水加工のポーチに入れて胸元に紐でくくりつけ、出発の四日後には夜にまぎれてボートでキューバ沖から上陸し、そしてジャングルへと姿を消して、敵国を徒歩で横切り、三週間後には島の反対側に現れてガルシアの元に手紙を届けたか、といったことを今ここで詳しく話そうと言うのではありません。

私が言いたいのは、マッキンリー大統領がガルシア宛のメッセージをローワンに託し、それを受け取ったローワンは「ガルシアはどこにいますか?」とは質問しなかったことです。こうした人物こそ銅像にして国中の学校に設置されるべきなのです。若者に必要なのは、机上の学問や、あれこれと指導してやることではなく、しっかりと背筋を正してやることが必要です。そうすることで彼らは信頼に応え、迅速に行動し、全力で取り組んで「ガルシアへメッセージを届ける」ことができるようになるのです。

ガルシア将軍はすでにこの世にはいませんが、他にもこうした状況はあります。

多くの人手が必要となるような事業を成功させようと努力してきた人ならば、普通の人間の愚かさ、一つの物事に集中して実行することに対する無力さや、やる気のなさに驚かされたことがあるでしょう。いい加減な手助け、ばかげた不注意、だらしのない無頓着さ、中途半端な仕事など、こうしたことが当たり前のように起こっているようです。そのため、手段を選ばず脅して強制的に手伝わせるか、取引するか、もしくは神様によって奇跡が起こり、光の天使を手助けに遣わしてくださるようなことでもない限り、もはや事業で成功することはできません。試しに、読者の皆さんも次のような場合を考えてみてください。あなたは今、オフィスで椅子に座り、そばには六人の部下が控えています。

その内の一人を呼び出して「百科事典でコレッジオの生涯を調べて、簡単なメモをまとめてきて欲しい」と頼んだとしましょう。
その部下は、ただ「わかりました」とだけ返事して仕事に取り掛かるでしょうか? まずそうはいかないでしょう。きっと彼は、生気のない目つきであなたを見つめ、こんな質問をするはずです。
「それは誰ですか?」
「どの百科事典で調べればいいですか?」
「どこに百科事典はありますか?」
「私はこのような仕事のために雇われているのですか?」
「ビスマルクのことを言っておられるのではないですか?」
「チャーリーにやってもらってはどうですか?」
「その人は故人ですか?」
「急ぎの用事ですか?」
「事典をお持ちしますので、ご自分でお調べになりますか?」
「どういったことを知りたいのですか?」
あなたはこうした質問に答えて、どうやって見つけるのか、なぜ知りたいのかを説明してやります。

その部下は十中八九、別の部下に手助けを頼んで「ガルシア」を探し出そうと試みるものの、結局はあなたの所に戻ってきて「そのような人はいませんでした」と回答するでしょう。もちろん絶対とは言い切れませんが、大抵の場合はこうした結果になるはずです。

ここで賢明な人ならば、わざわざ部下に、コレッジオは「K」ではなく「C」の項目に載っているよなどと説明はせずに、にこやかに「気にしなくてもいいよ」と言って、自分で調べに行くでしょう。
このように、自主的な行動が欠如し、精神的に愚かで意志が薄弱、そのうえ進んで引き受けることに対して消極的であれば、真の福祉社会は遥か遠い未来の話になってしまいます。自主的に行動しないような人が、皆の利益のために何か努力するでしょうか。そうなると、こん棒を持って追い立てる上司が必要なようで、そうすれば部下達は首になるのを恐れ、土曜の夜でも多くが職場に残っていることでしょう。

速記者を募集しても、応募者の十人のうち九人が綴りを知らなかったり、句読点の打ち方を知らなかったり、またその必要があるとすら考えていない。

このような人物が、ガルシアへメッセージを書くことができるでしょうか。

ある大工場で主任が私に「あそこに簿記係がいるでしょう」と言いました。

「彼がどうかしたのですか?」

「彼は立派に会計の仕事をします。しかし、使いで街に行かせると用事はしっかりと済ませますが、帰ってくるまでに酒場を四軒はしごして、大通りに出る頃には何のために街に来たのか忘れてしまうのです」

このような男を信用してガルシアへメッセージを届けさせることができるでしょうか。

私達は最近、虐げられた環境の工場で働く労働者や、正当な雇用を求め歩くホームレスへの感傷的な同情の声をよく耳にします。大抵の場合、こうした声とともに聞かれるのは、権力者に対する痛烈な言葉です。

しかし、だらしがなくて役に立たない人に高度な仕事をさせようと無駄な骨を折って急に老け込んでしまった雇い主のことや、何か役に立つようなことをするわけでもなく、見ていない所ではだらだらするような助っ人と共に雇い主は根気よく頑張ったことについては、何の言葉も聞かれません。どのような店や工場でも常に、無駄を省こうと努力が続けられています。雇い主は利益を上げるために、常時仕事に不適格とわかった「助っ人」を解雇して、代わりを雇い入れています。どんなに景気が良い時でもこうした人員整理は行われており、景気が悪く仕事があまりないときは、こうした人員整理はますます厳しくなります。能力が無く必要とされなかった者は二度と職に就くことはできません。その仕事の適任者だけが職場に残ることになるのです。どの雇い主でも、自社の利益のために、ガルシアへ手紙を届けることができるような最良の助っ人を確保しようとするものなのです。

私の知り合いに才気溢れる男が一人いるのですが、彼は自分で事業をするほどの能力はなく、かといって、他人の役に立つということも全くありませんでした。なぜなら、彼はいつも、雇い主が自分を虐げている、あるいは虐げようともくろんでいる、とばかげた疑いを抱いていたからです。彼は他人に命令することもできないし、他人からされることもありません。もしガルシア宛のメッセージを届けてくれと彼に頼めば、きっと「自分で行けば」という返事が返ってくるでしょう。 今晩この男が、擦り切れたコートから風が入り込むなか、仕事を探しに通りを歩いたとしても、彼を知る者であえて雇おうという者などはいないでしょう。彼は決まって真っ先に不平不満を言い出すからです。物事に鈍感な彼の目を覚まさせるには、厚底の革ブーツのつま先で蹴飛ばしてやるしかありません。

もちろん、このような品行方正に欠ける人物よりも、体の不自由な人の方が同情すべきなのはわかっています。それにどうせ同情するのであれば、懸命に大事業を成功させようと努力している人にも涙の一つでも流すべきでしょう。彼らは勤務時間が過ぎても働き、さえない無頓着な部下やいい加減で愚かな部下、自分が雇わなければ腹を空かせたホームレスになっていたにもかかわらず感謝の気持ちに欠ける心ない部下など、こうした部下をまとめあげようと苦労した末、みるみるうちに白髪頭になってしまうからです。言い過ぎだと思いますか?恐らく言い過ぎでしょう。しかし世界中にスラム街ができている今、私は成功した人に対してねぎらいの言葉をかけたいのです。彼らは、苦しい逆境のなかで部下を指揮し成功したからといって、手に入れたものはただ家と衣服だけしかないのです。

私は弁当箱を持って日雇い労働に行ったこともあるし、雇い主になったこともあるので、両者ともそれぞれ言い分があることはわかっています。貧困であることに、良いことなど何一つないのです。ボロを着るのが好ましいとはいえません。また、雇い主もすべてが強欲で高圧的というわけではありません。それは、貧しい人すべてが高潔ではないのと同じことです。

私は、上司がいないときでも、自宅に帰ってからでも仕事をするような人には同情してしまいます。ガルシアへの手紙を渡されると、ばかげた質問をせずに黙って受け取って、近くの下水道に捨てたり途中で道草を食ったりなどという考えを起こさずに手紙を届けるような人は、決して解雇されることはないし、賃上げのストライキを起こす必要もありません。文明とは、こうした人物を長い時間をかけて懸命に追求することなのです。こうした人物の要望は何でも聞き入れられるだろうし、その類稀な天性から、手放そうという雇い主はいないでしょう。どんな都市や町、村─どんなオフィスや商店、工場─に行っても必要とされるのです。社会はこうした人物を必要としています。ガルシアへ手紙を届けられる人が切に求められているのです。

xQサーベイ

本書で紹介している簡易的な実行指数がわかるxQサーベイはこちらをご欄ください。

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完訳 7つの習慣
人格主義の回復

ここには何も入っていませんでしたが、ここに『7つの習慣』についての説明が入るとバランスが良くなります。

新しい時代の中で、苦痛と不満の状態を脱し、生涯にわたって社会に関わり、貢献し、自らの存在意義を確認して、真の充足感を得るまでのロードマップを示してくれます。

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『7つの習慣』の理解を深める映像

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